※当記事は2022年4月29日に公開したものに加筆・訂正したものです。
こんにちは!
神奈川県横浜市を拠点に交通誘導警備・イベント警備を行っております、株式会社イージス代表の吉岡忠です。
本日4月29日は祝日、『昭和の日』です。
実はこの祝日の名前、3度も変わっているということをご存知でしょうか?
天長節
4月29日が祝日として制定されたのは昭和天皇の誕生日だったからです。
日本の象徴である天皇陛下の誕生日を国民の祝日とするのは当然ですよね。
「天は長く地は久し」という中国の思想家・老子の言葉からとった言葉で、天地が永久であるように天皇の存在も永久に続くようにという願いが込められています。
天皇陛下の誕生日を天長節として祝う習慣は8世紀から続く伝統でした。
ですから明治天皇(11月3日)、大正天皇の誕生日(8月31日)と、天皇が代替わりすると天長節の日付けも変遷してきました。
天皇誕生日
昭和20年8月15日。
日本は戦争に敗れ、昭和20年8月15日から昭和27年4月28日にかけて連合国(実質的にはGHQ)の占領下にありました。
その占領期の最中である昭和23年に国民の祝日に関する法律が制定され、それまで『天長節』と呼ばれた日が『天皇誕生日』に改められました。
ここには大きな意味があります。
占領期の法制定という事は、GHQによる法制定です。
世界で最も長い歴史を持つ日本という国の象徴である天皇の存在が永久であるように願い祝うという習慣を、彼らは破壊したかったのです。
とはいえ、この祝日を無くしてしまえば当然国民から大きな反発が起こるでしょう。
ですから『天皇誕生日』という単純な名前に変えて、天皇家の威厳を落としたのです。
みどりの日
昭和天皇が昭和64年1月7日に崩御されると、『天皇誕生日』は明仁上皇の誕生日(12月23日)に移動しました。
そして、それまでの天皇誕生日だった4月29日は「みどりの日」という祝日になります。
「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」日だそうです。
かつての天長節とは違い、4月29日は名前を変えてそのまま祝日として残されました。
昭和の日
平成17年、祝日法が改正されて『昭和の日』と改められました。
「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」と祝日法に制定されています。
昭和天皇が崩御したあとも『みどりの日』として祝日のままにし続け、祝日法改正で『昭和』の名を復活させた。
私にはここにも大きな意味があるように思えます。
戦争、敗戦、占領期という危機の中で、日本という国を失わずになんとかして守り、未曽有の復興を遂げた昭和という時代。
それが出来たのは天皇陛下という存在が我々の国の中心にあったからです。
そして現在も、終戦前後に匹敵する日本の危機です。残念ながらそうだと知らない日本人が未だ大半なのですが・・・。
この昭和の日に、日本の来歴について調べ、我ら日本国民の国のこれからを考えてみるのも良いかもしれません。