こんにちは!
神奈川県横浜市を拠点に交通誘導警備を行っております、株式会社イージス代表の吉岡忠です。
先日、茨城県は鹿嶋市にある鹿島神宮に行って来ました。
年末の土曜日なのに、心なしか参拝者も少なかったように感じました。
外出自粛要請の影響でしょう。参道で屋台を出している人の立ち話からも「困ったねぇ・・」という声が聞こえてきました。
現代の日本で生きる我々は、自由です。
全てを自分で選択出来る自由があります。ものの捉え方、考え方も自由なのです。
知っていましたか?笑
本来、我々は自由であり自分の選択によって全てを決定している筈なのですが、その考え方は教育の中で潰されてしまうことが殆どです。
日本は同調圧力の強い社会ですから「協調性を持って」「周りに合わせて」「先生の言う事をよく聞いて」このような事を教え込まれます。
この教育の言葉の裏には、"そうした方が楽だから""仲間はずれが恐いから"という安楽の方向への逃げの姿勢があります。
周りに合わせて行動し続けていれば自分で責任取らなくて済む、という受動的な姿勢です。
「何々が悪い」「誰々が悪い」「国は、会社は何もしてくれない」
という言葉は自らの意志で考え、選択し、行動している人の口からは出てきません。
本来、選択権はアナタにしか無いのだから、いま、アナタに起きている事の全ては自分自身の選択の結果なのです。
今のコロナ禍の状況も例外ではありません。
受動的な姿勢でいる限り、状況は悪化するばかりです。
冒頭の、鹿島神宮のお店屋さんの「困ったねぇ」も、能動的な姿勢の人の口からは出てきません。
自らの意志で情報を手に入れ、選択し行動している人は起こること全てを自分の責任と考えているので、解決方法も自ら考えるからです。
マスクをして参拝に来ている大衆を見て、神様はどう感じるでしょうか?
マスクをする/しないもアナタの自由。
ワクチンを打つ/打たないもアナタの自由。
コロナを恐れる/恐れないもアナタの自由。
これらはアナタの好きに選択出来る事なのです。
もしいま、アナタが何かに対して不満を持っているのならば、それは『自由』というものに怯えているからです。
誰かの責任にしているからです。
この人生の主役は他でもないアナタ自身であり、全てはアナタの思い通りです。
しかし、安逸な方を選択している限り、その事に気が付かないまま人生を終える事になるでしょう。
その大きすぎるツケは、大きな後悔となって死の間際に襲い掛かって来るでしょう。
その後悔の念が周囲に伝播することを、釈迦は『輪廻』と名付けました。悲しい死を迎える事になるのです。
輪廻か/涅槃か。
それを選ぶのもまた、アナタの自由なのです。