こんにちは!
神奈川県横浜市を拠点に交通誘導警備・イベント警備を行っております、株式会社イージス代表の吉岡忠です。
むかしむかし。
現在でいう板橋区の旧川越街道には石神井川が流れており、そこに一本の橋が架かっておりました。
ここは江戸と川越を往来する人々で大変な賑わいでした。
飛脚やお侍、商人や観光などの人々が歩くので、乞食の人たちもこの橋の近辺に陣を定めて物乞いをしていたという事です。
しかし、その賑わい振りとは対照的に橋はというと丸太を二本架けただけの橋で、大雨などが降ると橋ごと流されてしまいそうな粗末な橋でした。
ここの橋のたもとに『六蔵』という一人の乞食が住んでいて、街道を往来する人々に頭を下げ、朝早くから日が沈む前まで熱心に物乞いをしており、近所の乞食仲間から宴会に誘われても
「明日も朝が早ぇもんでの」
と断るくらいで、乞食連中からも
「ケチな奴だぁね。そんなに金が欲しいかい」
と嘲笑されていましたが、町内の人々は六蔵さんを不憫に思い、「六さん、六さん」とかわいがって衣類や食べ物をあげていたそうです。
そんな六蔵さんでしたが、雨の日になると心配そうに橋の上に来て川を見下ろして
「もっと立派な橋にしなくっちゃあ。あぶねぇ、あぶねぇ」
と独り呟いていました。
ある日、六蔵さんの姿が最近見当たらないと町内で騒ぎになります。
町内の人々と乞食連中が心配して住処に来てみたら、冷たくなった六さんが横たわっておりました。
みんなで懇ろに弔い、住処を片付けていると、なんと壺に入った大量の銭が出てきました。
六さんは恵んでもらったお金を使わず、大事に貯めていたのです。
そしてその壺の蓋にはこう書いてありました。
『はしつくるかね』
そう、六さんは多くの人が往来するこの橋を、立派にしなくてはと架け替えるためにお金を貯め込んでいたのです。
町人たちは六さんの想いを形にしようと、そのお金で新しい橋に架け替え、日々頭を下げてその橋の資金を作った六蔵さんに敬意を払い、
『下頭橋』
と名付けました。
それを聞いた下頭橋を通りがかったあるお坊さんが、それはまさに菩薩様の行いだという事で、ここに六蔵菩薩観音堂が建てられたのでした。
いまでは旧川越街道になっていますが、昔からある街道には様々なエピソードがあって面白いですね。
現在、イージスはおかげさまで沢山の愉快な仲間が集まってくれ、みんな楽しく警備を行ってます!!
どうも有り難うございます