8月15日、妻の祖母が亡くなった。
私自身は会ったこともなかったが、妻にとっては小さい頃よく可愛がってくれた大好きなおばあちゃんだったらしく、今回最期のお別れをしに息子を連れて宮城県へ帰省した。
そういえば私も息子と同じくらいの年齢の頃、母の兄(つまり私にとっての叔父)が亡くなった為、生まれて初めてお葬式というものに参加した。
3〜4歳頃の私はお祭りか何かと勘違いしており、
「おっそうしき!!おっそうしき!!」
と、はしゃいでいたら、後にも先にも生涯でたった1度きり、母に叱られた。
葬式の参加に加えて母親に叱られたことも生まれて初めての体験だったので、強烈に記憶している。
そして葬式がお祭りではないこともわかった(笑)。
昔の田舎の葬式では、遺体が布団の上に横たわっており、その顔には布がかけられ、参列者一人ひとりが遺体の顔を拝んで焼香するという方式であった。
幼児だった私はその列には参加出来なかった為、母が焼香を終えて私の隣に戻ってきたあと、
「ねえねえ、伯父さんどんな顔してた?」
と大声で聞いてまた叱られた。
まだ小さかった私には『死』の概念が無かった為、ただ興味しか無かったのだ。
翌日、火葬場へ行き、棺が火の中に入れられるのを見た。
その時初めて、もう叔父さんの身体には命が入っていないのだ、と理解した。
その後の席では時に笑い、時に涙しながら皆が伯父さんの生前の思い出を語りあっていた。
葬儀という儀式は、亡くなった人間を生前関係したすべての人の心の中に収めるものだと思う。
最期のお別れ。
故人の肉体の中にあった魂が、美しい思い出となって生きている者たちの心の中に移る。
だからまたいつでも会えるのだ、思い出の中で。
奇しくも私と同じくらいの年齢で、生まれて初めて『死』の概念が入ったであろう息子には、そう伝えようと思う。
もちろん、妻にも。