こんにちは!
神奈川県横浜市神奈川区を拠点に交通誘導警備を行っております、株式会社イージス代表の吉岡忠です。
皆さんはご自身の事、「運がいい」と思いますか?
これね。
私は運がいい、と思っている人とそうでない人では、実際にその人の人生に起きてくる現象に大きな違いが出てくるらしいですよ。
私自身もそうである事は体感的に知っています。
2/24(日)、朝早く起き、コタツに入りながら黙々とミカンを口の中に放り込み続けておりました。
そうしているうちに私の頭蓋骨内に天啓が降りてきました。
天啓「おはよう」
忠「おはようございます。天啓さん」
天啓「忠よ。ちょっくら大洗磯前神社まで行って来なさい」
忠「分りました。行きますね」
天啓「・・・(コイツ素直すぎ。大丈夫か?)」
と、いう事で茨城県は大洗にある磯前神社までクルマを走らせました。
神社に着。
神社に行く度に思うのですが、人がお祈りしている姿というのは何とも言えない美しさがあります。
ある種の純粋性といいますか、人間の敬虔な姿が身体的に現れるからでしょうか。
神社でお参りをする。
私は所謂『神さま的な存在』を信じておりませんが、神社に行くのは好きです。
神社という場の雰囲気を創り上げている人間の純粋性、敬虔さが好きだからです。
お賽銭を投げ、お祈りをする。
祈りの内容は人それぞれでしょうでしょうが、私は神社に行くたびに
「有り難うございます」
と、感謝の気持ちだけを述べています。
先述しましたが、私は神さま的な存在を信じておりません。
では誰に感謝の気持ちを述べているのかと云いますと、自分自身にです。
もっと言えば『自分』という幻想を創ってくれた、縁ある全ての存在に対してです。
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神が降り立ったとされる岩場に、鳥居が立っています。
『神が降り立った』というのは人間の幻想か、想像でしょう。
ですが私は幻想を見る人間のその想像力と、『神』という存在を創作し、信じる純粋性が美しいと思うのです。
ときには『神』を信じる事によって戦争すら起こしてしまいますが、それはまた次元の違う話です。
人間に生まれ、人間として生きている事。
その事に対する感謝の気持ちを実感する場が私にとっての『神社』です。
人間に生まれて良かった。
自分は運がいい。
有り難い。
我々が生きている世界自体も、きっと心が創り出した幻想で出来ているのです。
だから人の心が創作した通り、この世界は展開しているのです。
『私』という人間を創り上げてくれた人々、出来事。
全てに恵まれていると実感しています。
一見、最悪に思える出来事であっても、そのおかげで成長できる。
そしてそんな最悪に思える出来事も、実は自分で創り出している。
世界を創っているのが心ならば、心は『神』と呼ばれるものと同じ。そしてその『心』は我々一人ひとりが持っている。
この世は心が創り出した幻想である。
神社の本殿に祀られている『神』が鏡なのは、世界を創っているものがアナタの『心』だから。
と、云う事は人がお祈りや願掛けをするのは、世界を創り出しているアナタの心に対してなのです。
昔の人は、それを直感的に知っていたのではないでしょうか。