こんにちは!
神奈川県横浜市を拠点に交通誘導警備・イベント警備を行っております、株式会社イージス代表の吉岡忠です。
二十歳くらいの頃、私は重度の厨二病を患っておりまして。
『生きる意味とは?』とか『運命があるのか無いのか?』とかいう事を取り留めなく考え、哲学にハマっておりました。
あらゆる哲学者の本を読んだのですが、最も惹かれたのがニーチェです。
なぜ私がニーチェに惹かれたのかといいますと、かの有名な「神は死んだ」という無神論(虚無)思想です。
一神教思想が根付いているヨーロッパに於いて神の存在を否定し、神に依存せず、人間が自らを拠り所にし自らの脚で立て!自立せよ!!と喝破したのです。
『宗教』という膜を剥がし、人間の実存を問う鋭い思想に私は圧倒されたのでした。
ニーチェはドイツ人。
キリスト教文化ド真ん中で育った筈なのにそれを否定し、新たな視座を世の中に提示するなんて、哲学者ってのは何ともスゴイもんだなぁ~!カッコいいなぁ~!!と憧れたもんです。
自立。
神さま、いない。僕が居る。
『人生の意味』や『運命の定不定』に考えを巡らせて悶々としていたワタクシでしたが、ここに於いて無神論者へと転向したのでございました。
それから刻が経ち。
今では神社に行くのが大好きです!
無神論者になったんや無かったんかーい!!笑
はい、ワタクシ現在も無神論者です。
神社大好きです。しかしそこに矛盾はありません。
御説明致します。
私が否定している『神』は、あらゆる概念の頂点に君臨しヒエラルキーを創り出す『一神教的なる神』であり、万物に神性を見出し多様な在り方を赦す『八百万(やおよろず)的な神』では無いんです。
神道でいう『神様』は宇宙であり心であり自然の事で、日本人はそういうものを『神様』と呼んでいると思うのです。
そもそも神社の御神体は『鏡』であり、神社は「アナタの心(認識)が全てを創っているのですよ」という事を思い出させてくれる場です。
日本人は古来より祈りや誓願、感謝を伝える場として神社を建ててきたと思うのですが、心というものの無限性とか万能さを直感的に知っていたのでしょう。
心は万能=神。
こういう『神』様ならば、私は否定致しません。
そして厨二病の私が抱えていた『この世に生まれた意味はあるのか?』とか『運命があるのか無いのか?』という疑問も、ここに於いて解決するのです。
人生の意味も、運命の定不定も、全ては我々の心が決める事なのです。
これはまさに、ニーチェが促した『自立』とも符合しますね。
と、いう事で無『神』論者である私が神杜参りが好きである事は、矛盾する事なく寧ろ自然な事なのです。