続き
「何この本!!!思ってたのと全然違うし全然ワケ解らねーyょ47っlvし-ふぉg@-rn9cufocんぁg@-q@q9gmipofiug^o^!!!!」
ってなって人類史に残すべき大傑作『孫子の兵法』を窓から投げ捨て、格闘技で世界一になる夢も投げ捨て、一日半自暴自棄になってから次の目標を定めた私。
次の目標を達成する為の勉強を始めました。
まぁ、『勉強』というよりは新たに熱中できることを見つけて、それに没頭していただけなのですが。
そうしているうちに興味の範囲も行動の範囲も段々と広がってゆき、萎えた自信もいつの間にか回復してくるのでした。
再設定した目標もハッキリと形になってきます。
絶対に勝ちたい。
やるなら一番になりたい。
世界一じゃない。
宇宙一に。
再びそう思うようになったのです(中二病再発)
そう思い始めると今度は
『どう勝つか?』
を考えるようになり、勝ち方や成功哲学などの本を読み漁ります。
麻雀の桜井章一さん、サッカーのヨハン・クライフさん、野球の野村克也さん、合気道の植芝盛平開祖・・・
その中でもヤクルトスワローズを優勝へ導き、阪神タイガースや楽天ゴールデンイーグルスが強豪チームになる土台を築いた野村監督。
彼の著書の所々に孫子の兵法を参考にした、ということが書いてあったのです。
すぐさま私は窓から放り投げてしまった『孫子の兵法』を、孫武さんごめんなさい!!!と言いながら拾い戻し、本を開きました。
時を経て、人生経験を積んで再読してみると過去に受けた印象と全く違って見えるのです。
あれ?
これホントに投げ捨てたのと同じ本?
彼を知り、己を知れば百戦危うからず
ここでいう『彼』とは。
敵。
敵を知る。この言葉には深い含蓄があったことを思い知らされました。
敵を知る=相手に関心を持つ
という風に読めるのです。
相手の心を”探る”のではなく”理解”しようとする。
とでも言えばいいのでしょうか。
どんな敵であれ、関心を持ち、理解しようと歩み寄ってくる相手に対して嫌な感情を持つ筈がありません。
勿論、相手を理解するには自分自身の表情や言葉、動作が相手にどういう印象を与えるのか、ということも知っておく必要があります。
=己を知る
彼を知り、己を知れば百戦危うからず
私流に意訳すると、
相手に関心を持ち、理解しようと歩み寄ることで相手は心を開くから信用を得、もう『敵』ではなくなる。また、相手を理解する姿勢が自分を知ることにも繋がる。そうすれば『戦い』すら起こらない。
という感じでしょうか。
戦わずして勝つ、というのは↑こういうことなのではないでしょうか。
(因みにこの考え方は日本発祥の武術、合気道の考え方と通底するものがあります。そういう意味で『孫子の兵法』は日本人に馴染みやすい思想だと思います)
『孫子の兵法』を読み返す度に、この書物の中で言っている『勝ち』に対する定義が、とてつもなく広義であることが解かってきます。
この本は、単なる戦術指南書では無いのです。
かつて、十代後半、中二病全盛期だった頃の私は抽象度の低い視点でしか読めなかったので、この偉大なる書物に記載されていることがどこか薄弱で、卑怯で、冷徹な印象しか受けなかったので「ssふkgひおrfgヴん;いおhkふぁg!!」ってなって窓から放り投げてしまいましたが、色々な本を読み、人生経験を積んだあとに読んでみると、とても深い含蓄のある、人間味のある暖かい書物であることがわかりました。今では全人類必読の書と言っても過言ではないとすら思っています。
彼を知り、己を知れば百戦危うからず
この言葉は孫武さんからの時代を超えた、今を生きる全人類への応援メッセージなのです。