こんにちは!
神奈川県横浜市を拠点に交通誘導警備を行っております、株式会社イージス代表の吉岡忠です。
2020年は本当に激動の1年でしたね。
だからこそ私自身も色々と考え、悩み、知ることが出来た1年でした。
コロナ騒動に関連して生活の変化を余儀なくされている方も多くいらっしゃるかと思います。
この『変化』にはもれなくストレスが付いてきます。恐怖や不安といった感情です。
脳には生存を最優先する本能(ホメオスタシス)があるため変化を嫌うので、変化が起こる度にストレスが発生します。
釈迦は2500年以上も前にこの脳科学的事実を知っていたので「人生は苦(ストレス)である」と喝破したのです。
確かに、この宇宙には万物は常に変化するという『無常』の法則が働いており、この真理から逃れてこの世に存在することは出来ません。
常に変化し続けている訳ですから、脳からすれば存在すること自体が既に『苦』なのです。
生きている限り『成長する』『老いる』『病む』『死ぬ』という事から逃れる事は出来ません。
嫌いな人と会わねばならない、欲しいものが手に入らない、好きな人と別れる、肉体的苦痛という現象からも逃れることは出来ません。
まさに生きるという事は変化の連続、『苦』の連続です。
これが「一切皆苦」の意味ですが、釈迦はそんなストレスに満ちている筈の人生を楽しみ、死の間際に「人生は甘美である」と言ったのです。
これは一体どういう事でしょうか?笑
彼がドMだったのなら納得出来ますが、「苦行なんて意味ねー!」と言っていた人なので、どうやらドMの線は無いようです(笑)
釈迦は『苦』を『苦』のまま放置することなく、瞑想によってじっくりと観察し、心の使い方次第で『苦』を『楽』に転化する=人生(苦)を楽しめる公式を完成させ、これを『苦集滅道』と名付けました。
要は心の使い方次第でストレスを楽しめるという方法論です。
そもそも『苦』というものは悪いものなのでしょうか。
苦しみを伴う困難な経験ほど後の人生に役立ったり、その人を人間的にも大きくするものです。
『良薬口に苦し』と言いますが、だとすれば『苦』は成長の為に必要な栄養であり、むしろ『良いこと』なのです。
結局、『良い』『悪い』を判断しているのは人間の心なので、その心の力を使ってものの捉え方さえ変えれば一瞬にして『苦』は『楽(しい)』に転化出来ます。
心の使い方で脳の『変化を恐れる癖』を制圧出来るのです。
釈迦は悟りを開いて『全部わかっちゃった系』の人なので、無常(苦)を『楽(しい)』に変える術を会得していたのです。
『楽(しい)』を経験するには『苦』が無ければ経験出来ません。空腹を感じなければ満腹感を味わえないのと一緒です。
我々人間がジェットコースターに乗ったりバンジージャンプをしてわざわざ不安や恐怖を味わおうとするのは、その反対にある安心感との落差を楽しみたい為なのです。
つまり”全部わかっちゃった系"釈迦は、人生もバンジージャンプと一緒で、恐怖と安堵感の落差(変化)を楽しむ為にあるものだという事を知っていたのです。
もちろん、ジェットコースターやバンジーは『絶対(たぶん)に死なない』という安心感前提の恐怖だから楽しめるのですが。
人生とバンジージャンプの絶対的は違いはそこにあり、人生は『絶対死ぬ』んです。
そんなリスキーな人生で恐怖(苦)と安堵(楽)間の落差を楽しんじゃおうなんて発想をする釈迦って!?
・・・サイコちゃんなの?笑
冗談はさておき(笑)
釈迦は瞑想によって得た『空』の視点から『生』と『死』を俯瞰して、結局『死』というものも観念上のものに過ぎないと悟ったのです。
何故なら人は自分の死を経験出来ないし、死者が生き返って死後の世界を語ってくれた事もない。ならば死後の世界の事を考えて怯える必要などない。
つまり『死』は観念であり、恐れること自体ナンセンス!!
だから安心して(バンジーで)跳んで、恐怖と安堵の落差を楽しみなさい!!無常(変化)を楽しみなさい!!
と、言ったのです。
いや、言ってない。
そういうニュアンスの事を言っていたのだと私は考えます(笑)
釈迦が言った「人生は苦」という言葉は、「心の力を使って観念さえ変えれば、人生はイベント(苦=楽)の連続でしかないのだよ」という意味なのだと思います。
ここで晩年の「人生は甘美である」という言葉につながるのです。
ですよね?お釈迦さん
釈迦「え?ちが