神奈川県横浜市を拠点に交通誘導警備を行っております、株式会社イージス代表の吉岡忠です。
お釈迦さんは言いました。
人生は『苦』であると。
ネガティヴ。
お釈迦さんネガティヴ(笑)
でも、お釈迦さんは人々に幸せな生き方をして欲しいと願い、本当のことを言っていただけなんです。
一切皆苦。
人生、すべては思い通りにならない事ばかりだという事です。
この世に生を受けたのは貴方の意思に因るものではありません。
加齢してゆくことも、生まれた瞬間から定められています。
肉体の自律運動も自然の領域です。
ずっと生きていたいと思っていても、死を免れなかった人間はこの世に居ません。
愛する人との別れは、いつかやって来ます。
憎い人と会わずに一生を終える事は不可能です。
欲しいもの全てを得る事は出来ません。
肉体の感覚から逃れる事は出来ません。
かように、この世に生を享けるということは『苦』を運命づけられるという事でもあるのです。
苦を運命づけられてこの世に生まれるとは、何だか人生というのは修行のようですね。
「人生は、重荷を背負いて山道を行くが如し」
とは、徳川家康公の言葉ですが。
まさに人生は修行なんです。
修行にはゴールがあります。
人生が修行ならば、人生にもゴールがある筈です。
幸福を得ること。
このゴールは生きとし生けるもの全てに共通するゴールです。
この世に存在する全ては、対概念で成り立っています。
『上』があるから『下』があり、
『縦』があるから『横』があり、
『闇』があるから『光』がある。
何かの概念が発生したら、必ず反対の概念が発生するというのはこの世の真理です。
『幸福』の反対は『不幸』。『苦』の反対は『安楽』。
『不幸』を知らなければ『幸福』を知る事が出来ません。『苦』を知らなければ『安楽』知る事も出来ません。
つまり幸福を得るためには『苦』や『不幸』を体験する必要があるから人間は『苦』を背負って生きてゆくのです。
『苦』や『不幸』という素材を錬磨してゆき、『幸福』という宝珠に変えてゆく。それが人生という修行なのです。
だから『一切皆苦』というのは、換言すれば"この世の一切は、全て幸福を得る為の材料なんだよ"という事でもあるのです。
でも、どうやったら『苦』を『幸福』に変える事が出来るのでしょうか?
この世に生を受けたのは貴方の意思に因るものではなく、
加齢してゆくことも生まれた瞬間から定められていて、
肉体の自律運動も自然の領域であり、
ずっと生きていたいと思っていても、死を免れない。
愛する人との別れはいずれやって来るし、
憎い人と会わずに一生を終える事は不可能であり、
欲しいもの全てを得る事も、
肉体の感覚から逃れる事も出来ない。
という事実を目を逸らさずしっかりと観る。すべては思い通りにならない、という真理を認識するという事です。
その真理(ほんとうのこと)を認識することが、幸福を得る為の第一歩であると。
一切皆苦。
お釈迦さんは人々が幸福になる事を願い、そう説いていたのです。(※本投稿は過去記事を一部加筆訂正し、転載したものです)