記憶には無いが、私が生まれたのは横浜市港北区の綱島というところだ。
1歳になる前まで、そこで暮らしていたらしい。
その頃のアルバムを見つけた。
夕刻の空の下、土手に腰かけた母の膝の上に乗っかった赤ん坊の私が写っている。

あの辺りだと鶴見川だろうが、ちょうど金八先生のオープニングに出てきそうな、長閑な夕暮れの土手だ。
写真の中の母と私は、とても幸せそうな笑みを浮かべている。
それから間もなく、父が保土ケ谷区の上菅田町に家を建て、引っ越した。
そこで成人になるまで暮らしたので、人生で最も長い時間を過ごした土地となる。私の実家だ。
上菅田町は”陸の孤島”という有り難くない異名をつけられるらい、最寄り駅の鴨居まで徒歩約20分もかかる場所。
しかし逆に周囲は川や畑、森や丘に囲まれており、不便ではあるが豊かな自然に囲まれた静かな場所だった。
夏になると近所でザリガニやクワガタがたくさん採れた。
生き物が好きだった。私も母も。
母は庭に様々な花を植えて育て、インコや九官鳥、金魚などたくさんの動物を飼っていた。
4、5歳くらいになると、私は犬を飼いたいと両親に懇願した。
「ちゃんと責任を持ってお世話をするなら」
という条件をもらい、犬を飼った。
名前はコロ。
飼いたいと言い始めたのは私だったはずだが、結局一番世話をし、コロを可愛がっていたのは私以上に生き物が好きな母だった。
だからコロが死んだとき、最も悲しんだのも母だった。
時が経ち、次に私が住んだのは神奈川区片倉町。
2018年、妻と二人暮らしを始める為だ。
子どもが多く、近くには岸根公園もあり、暮らしやすい街だった。

片倉町に住み始めて間もなく、子どもを授かった。
初めての子育て、妻も私も戸惑うことばかり。
そんな時、最も頼りになるのが子育て経験豊富な親なのだが、私の母はすでに他界していた。
子ども好きだった母に、孫の顔を見せてやることが出来たらどんなに喜んだだろう。
孫の世話も喜んでしてくれたに違いない。
そんな”もし生きていれば”を考えてしまう事がある。
現在住む都筑区の仲町台に引っ越してきたのが2023年の7月、息子が3歳になる直前。
ここを選んだのは自然が豊かであり、子どもが多い地域だから。
だから私が育った保土ケ谷区と似ているところがあった。
近所の公園は夏になると虫採りの親子で賑わい、我々親子もカブトムシやクワガタを捕まえ、飼育した。

ここに住んでもうすぐ3年が経つ。
公園や子ども達が遊べるスポットも充実しており、休日は遠出するまでもなく近隣で過ごすことが殆どになった。

息子も生き物が大好きで、動物や昆虫だけでなく植物にも興味津々。
遊歩道に咲く花の名を見つけては、私たちに花の名前を教えてくれる。

そんな息子の姿を見る度に、草花が好きだった私の母のことを思い出す。
先日、近所のスーパーへ買い物に行ったとき、ペットショップコーナーで息子がガラスの向こうで遊ぶ猫に釘付けになった。

2~30分、ずっと眺めていた。
現在の家は賃貸なのでペットを飼う事が出来ない。
5歳の息子もそれは理解しているので何も言わない。
そのかわりに近所で捕まえたヤモリを飼育している。

宮城県に住む妻の両親は年に1~3回、息子に会いに来てくれ、或いは我々が遊びに行くこともある。
その機会をご両親は喜んでくれ、息子もまた楽しみにしている。
また、母の事を思い出す。
現在の住まいを、私はとても気に入っている。
妻も息子も同様、この街を好いているようだ。
自然豊かなこの街で、手を繋いで息子と散歩していると、思わず
『母がもし生きていれば』
の光景を想像してしまう。
母が、孫に花の名前を訊いている光景を。
母が、孫と唄をうたいながら散歩道を歩く光景を。
母が、孫を膝に乗せて一緒に夕陽を眺めている光景を。

引っ張りだした1枚の写真が、思い出させてくれた。
人生は輪廻しているのだと。


